広島シティーチャンネル

1月24日
―社業に専念されていた今西さんがサッカー部副部長として再び現場に立つようになったのが1982年でした。チームは翌1983年に初のJSL、日本サッカーリーグ2部に降格しました。森健兒さんが「もうプロ化しかない」と中央で声をあげ始めた時期と完全に重なっています。失礼ながらこの降格は最悪のタイミングでした。

1965年にスタートしたJSLでいきなり4連覇を果たし1970年にも優勝した最強、東洋工業蹴球部の栄光の時代が過去のものになりました。

変革を目指すチームはその名称を1984年、マツダスポーツクラブ東洋工業サッカー部に変更。ここで今西さんが先ほど話に出たハンス・オフト氏を実質上の監督として招へいします。

翌1985年にチームは一部復帰を果たしますが、1988年にはまたしても2部に降格します。

1988年と言えば、「スペシャル・リーグ」設立へ向けての動きが、海のものとも山のものともつかなかった頃から急速に現実味を帯びてきていました。

1988年3月、JSLの事務局に第一次JSL活性化委員会ができました。そして8月、あの川渕三郎さんがJSLの組織を指揮する総務主事に就任します。

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