市民球場再生計画

7月13日
広島市はコンペの精神を踏みにじっていないか?
そのことに関連して「球場解体決定」のあの日からの出来事を、マツダスタジアム関連の動きなども含めて整理してみましょう。

A、6月22日 旧広島市民球場の廃止条例案が広島市議会で可決される。ただし、球場の廃止日付は修正案可決により7月いっぱいから8月末に「延命」された。

B、6月24日 広島商工会議所、大田会頭が会見の席で、旧市民球場解体後、その正面入り口から三塁側スタンドの位置にかけて移設される予定の新商工会議所ビルを「元の広島県産業奨励館(原爆ドームの元の姿)をイメージしたレトロ調の石づくりの建物」にする案を発表。

C、6月24日 秋葉市長会見。球場を解体し整備する広場の2013年春までの完成を強調。「スケジュールが遅れ厳しい状況になった」と修正案を批判。また秋葉市長がこだわる2020年の広島五輪招致について、中国新聞の世論調査で反対が上回ったことに対して「市民の理解を得ることが大事」と発言。

片平靖都市活性化局長は夏に予定していた球場サヨナライベントを秋にずらし、球場解体で生じるパーツのネットオークションなどによるバラ売り(9月解体、10月以降にイベント、販売)についても説明。

D、6月30日 朝日新聞全国版「オピニオン」のページに同社広島総局、加戸靖史氏の「記者有論」が掲載される。内容は「五輪に投入する時間と暇があれば、被爆者の痛切な思いを核保有国の人々に示せ」「五輪で核をなくすという秋葉発言、ピンときませんなあ」「核のない世界を祝うイベントに五輪?順序が逆!」「あと10年で核廃絶は夢の域」…。

E、6月30日 2013年全国菓子博覧会の広島開催(2013年4月19日から5月12日)に向け、広島商工会議所ビル内で菓子博の企画運営事業者を選定する審査会が行われる。

F、7月7日 菓子博の広島開催に向け、準備委員会は30日の話し合いなどを受け、中国博報堂などのグループを選定。準備委員は来年3月に予定の実行委員会設立まで活動。

G、7月8日 (旧)広島市民球場フォーラムが広島市役所に杉山朗・旧市民球場跡地担当課長を訪ね、「6月に提出した質問状の回答が不十分なため、追加質問に答えるよう」要請。

H、7月8日 マツダスタジアム周辺のにぎわいづくりを考える検討委員会(委員長は渡辺仁史早稲田大教授)の2回目の会合を市役所で開催。球場に隣接する土地の開発着手を延期したままの三井不動産(東京)や地元住民ほか委員計10人が出席。市の事務局が、昨年9月の初会合などで出たアイデアを整理した資料を配り、意見を求めたが決定打はないまま…。

I、7月8日 広島駅南口Bブロック、着工時期を本年度中から2012年度へ2年間延期。

J、マツダスタジアムで去年は禁止され関係者から強い反対意見の出たブラスバンド応援解禁

この中で最も注視されるべきはBの大田会頭の発言です。この発言は今回の跡地活用策について積み重ねられてきた「コンペ」の精神を根底から覆すものだからです。

簡単に言えばコンペの途中、落選となった作品に「商工会議所を移転して、球場跡地(まさに今、商工会議所が移転しようとしている場所)に元の産業奨励館をモチーフにした集客施設を設置する」という案がすでに存在するのです。

落選に際しては「商工会議所の移転はコンペの応募条件に入っていない」との理由をその担当者は市から告げられています。ゆえに、2008年夏、急きょ「移転する」と言いだした商工会議所の言い分?を認めた時点でコンペはご破算!今回、市税を投入しながらなお現存するコンペ優秀2案、「平和記念堂」と「みなとマザーズステージ」もこの時点で白紙に戻すべきだったのです。

その案とは最終6案にまで残った中のひとつ、作品番号3、「ヒロシマ平和の杜の創造」です。広島の戦後復興の一翼を担ってきた広島市内の復建調査設計株式会社広島支社や旧市民球場とマツダスタジアムを建設した増岡組広島本店らの企業連合で提案しました。

ところでAとDの間の期間、要するに球場解体決定から月末にかけて、もっと驚くべきことが「判明」しました。

あれほど「もう折り鶴は展示しない」と市議会ほかで繰り返してきた広島市ですが、実はウルトラCの「折り鶴展示案」を水面下で進めている、ということが見えてきました。

その場所は…。ほかでもない、球場を解体したあとの今、まさに折り鶴が飾ってあるあのあたり、そう新商工会議所の建物の中です。(続く)

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