市民球場再生計画

5月22日
秋葉五輪、ジ・エンド-。

広島市「2020年夏季五輪」(当チャンネルでは秋葉五輪と言い換え)の招致検討委員会、第6回会議を開いた。松井一実市長が招致断念を報告し、委員会の解散を決めた。招致断念は松井市長の選挙公約でもあった。

「タスキを渡す」とした秋葉前市長に対して就任早々、秋葉色一掃を本庁内で宣言!?した松井市長…。無理、無駄、無謀、無計画、市民、スポーツ団体への無配慮の「5無主義」を貫いた秋葉五輪は、当然のごとく新体制の下では葬り去られることになった。

広島五輪そのものの理念はまったく素晴らしいが、秋葉五輪にはNO!ということだろう。それにしても、秋葉前市長の「ノーベル平和賞が欲しいがための思いつき」(市議会関係者、スポーツ団体関係者ほかが異口同音に唱える)は獏大なエネルギーと費用を関係者に強いた。

…と同時に他の自治体、JOCなどスポーツ関係各所、あるいは海外の関係団体に及ぶまで、様々な人たちに「広島ってどうしてそうなの?」とマイナスの印象を植え付けることになった。

ここまでの経緯を確認する。

同委員会は09年、11月4日、広島市役所で秋葉前市長が田上富久長崎市長を従え行った「2020夏季五輪広島長崎共催会見」を受け、設置された。

唐突な提案に市民、市議会、県内競技団体関係者ほかから疑問の声、戸惑いの声が噴出。それでも秋葉前市長は「共催は不可との五輪憲章を変えてでも進める!」と強弁を繰り返し、事実JOCに掛け合った。

しかし長崎では市議会が猛反発して翌2010年1月15日には田上市長が「共催」の手を降ろしたが秋葉前市長は「単独でも他の自治体らの協力を得て進める」とここでも強弁…。

当チャンネルではJOCのトップが広島を訪問した際、いかに秋葉五輪が無謀なものであるかを伝えるために資料などを手渡そうとしたがやんわりと拒否され、聞く耳を持ってはもらえなかった。(案の定、今回の結末を迎えた)

2010年3月の広島市議会では五輪招致のための予算を削除・減額した修正案を可決したが、秋葉前市長は「掟破り」(議会関係者)の「再議権」を行使。数日のうちに市議会、共産党、公明党会派に”工作”してわずか5日後には五輪予算が復活した。

秋葉五輪は各メディアからも強い口調で批判を浴び、中国新聞アンケートなどでも「反対」の声が強調されたが、秋葉前市長はそのたびに「メディアは偏った報道をする」と逆ギレ!6月の終わりには朝日新聞が「その労力と資金を核廃絶に注げ」と記者署名のコラムを掲載すると、即刻文書で抗議を送ったりもした。

朝日も反撃?10月8日には広島国際大学、石丸紀興さんの論説を掲載。「市民に時間をかけ説明したと広島市は言うが、時間のかけ方が違う」と秋葉五輪とともに“双子の難題”となっている旧市民球場跡地活用問題で“ジャブ”。

続いて12日、「寄付で五輪は禁じ手」との見出しで龍谷大学法科大学院教授、田村和之さんの論説を掲載した。地方公共団体が仮に大きなスポーツ大会を開催しようと思えば、その予算の中心は「自治体によって賄われるべきものであり、寄付によることはありえない」。(県内自治体トップの談話)

さらに10月23日からは中国新聞が県内各競技団体責任者のインタビュー連載を開始。被爆後のヒロシマで「復興と被爆者の現実の板挟みに合いながら」戦後復興の象徴として開催された広島国体に尽力した川村毅広島陸協名誉会長は「市からいっさい説明を受けてないから答えようがないが、陸上とサッカー競技を同じ日に同じ会場で開催?五輪を甘く見ている、すべての考えが甘い!」と一刀両断、だった。

11月の中国新聞アンケートでも市民の8割以上は「説明不足」とし当然、「反対」が「賛成」を上まわった。

そこで広島市では市内各所で説明会を開催。しかし、そこではやたら「五輪の意義」を唱える不自然な市民参加者が出没したり、同じ顔が別の会場にもいたり、と?と思われることが多々起こり、やってるよ、というポーズに過ぎない状況だった。それでも秋葉前市長は「市民の理解が深まった」と繰り返した。

ところが…。

迎えた2011年、年明け、秋葉前市長は「市長選不出馬」を表明。「五輪の逆風に耐えられなくなったのでは?」市役所界隈で話を聞くたびに多くの人々がこう話した。

市民レベルではこうした流れが最初からできていたにもかかわらず、広島市は外堀から埋めていく手法に終始した。長崎市が断念したにもかかわらず、いやだからこそ、「広島単独開催」の可能性を探りながら、大阪府や北九州市など1府8県の計26自治体に参加検討委員会参加を呼びかけ、最終的に182自治体が「応援委員」として加わった、いや182自治体を巻き込んだ。

松井市長は検討委参加者を前に、厳しい財政状況などを理由に挙げ、「皆さまの期待に応えることができない結果となった。心からおわびする」と陳謝した。同席した田上市長は「被爆都市の思いに全国の首長が賛同してくれた。心からお礼を申し上げたい」と話した。

しかし…。この日、参加したのは、27自治体のうち17自治体だけ。しかも首長は広島市、長崎市と駅伝の盛んな広島県熊野町だけだった。熊野町の三村裕史町長は「財政負担を伴わないということで検討委に参加した。観光面でプラスになると期待したが…」とまさに各自治体の本音を的確に代弁していた。

秋葉前市長は12年の任期中に自身が会長を務める「平和市長会議」でも加盟都市の増加にこだわり続け4500都市をまでに拡大したが広島市の幹部の中からでさえこんな声が以前からあがっている。

「欧州の有名都市には入ってもらえず、数だけ増やして…。加盟してもタダですから、そりゃ、声をかけられれば来てくれますよ。そのぶん広島市の負担は増える一方。早く、参加都市から協力金を集めることを考えないと…」

五輪検討委もまったく同じ構図で拡大し、最後には、ごめんなさい…。しかも、ひとりで突っ走った責任者は不在。

松井市長は20日に都内JOCを訪ね、招致断念を伝え、この日の検討委員会最終日を迎えた。広島市などからの説明に質問や異論が出るでもなく、会議はわずか20分で終了した。いったい1年半に及ぶこの騒動は何だったのか?広島はかつて、スポーツ王国だったはずだが…。

いや、その答えはカンタンだ。スポーツの祭典を目指すなら、その主役は競技者とそれを応援する市民、県民、子供たちだ。秋葉五輪は、川村毅氏が指摘するように、当たり前のそのことすら配慮できなかった。1994年の広島アジア大会ではできていたことが、ひとりの間違った考えを持つリーダーのためにできなくなっていた。

秋葉五輪ではマラソン競技を8月6日の翌日に広島でやろうとしていた。そんなにやりたいなら秋葉前市長を先頭に市職員で8月7日に平和公園から宮島対外折り返しで実際、走ってみればいい。それがどういうことかも分からないのか?ストリート陸上の為末大さんをアドバイザーに招いておくべきだった?

リーダーが変われば(代われば)この広島でサッカーの国際Aマッチだろうと、野球のWBCだろうと開催可能だ。もちろんオリンピックだって、地道な準備と心意気があれば…。



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