市民球場再生計画

5月26日
折り鶴展示もジ・エンド-。

秋葉市長時代に市民、市議会、地元関係者を巻き込み、大騒動を繰り返した折り鶴ホールがあっさり終焉を迎えた。

広島市は元の市民球場跡地活用策のため公募し「優秀作品」としてきた(実際にはコンペは不適正な経過をたどり、コンペなのに最優秀作品はない)「折り鶴ホール」の事業責任者、池原義郎建築設計事務所(東京)に計画からの除外を通告した。

折り鶴ホールは以下の変遷をたどってきた。

・05年6月、新球場建設について、秋葉前市長がすでに決着したはずの「現在地」から「ヤード跡地」に独断で変更。この時点で、跡地に折り鶴展示施設を建設する方針であったと思われる。なお、折り鶴展示施設は過去の市議会ですでに否決されていたが、秋葉市長は広島市内の市の施設に何万羽という折り鶴を保存させ、その数は当然のことながら日増しに増えていった。

・07年8月、「折り鶴ホール」とともに優秀作に残った「森のパビリオン」の方が選考委員会で高い評価を集めたが、議事録に残らない、その後の「根回し」で「折り鶴」が「森のパビリオン」と同評価まで復活。最終的に2案が「優秀作品」とされ、球場を解体した跡地に「年間150万人集客」(秋葉前市長)のための折り鶴展示施設が設置される方針決定。(むろん折り鶴で人は集まらない、との声がこの時点で多数)

・08年9月、10月、広島市の示すたたき台に対して合計22の市民団体らから「結論をいそぐべきでない」「しばらく球場のまま使用させて欲しい」などの異論が続出。

・09年5月、秋葉前市長の命により、解体前の市民球場で近くの元の日銀広島支店ビルから持ち込まれた折り鶴展示スタート。入場者は一日数十人から修学旅行生などで多い日でも2、300人程度。年間で数万人も集まらないことは、この時点ですでに明らか…。

・2010年3月、秋葉前市長、猛烈な逆風を受け、長年の自身の夢だった折り鶴展示を目的にしたホールについて「場所や名称にこだわらない」と球場跡地からの撤退を匂わせる発言。

・2010年6月、市議会の特別委員会で「折り鶴ホール設置は出来レース」「計画案はコンペ案というが当初の案とはまったく違う」「市民の意見を聞く気はあるのか」と市担当者らが集中砲火を浴びる。

・2010年12月、元の市民球場にあった折り鶴が運び出され、球場解体スタート。

この流れの中で「折り鶴ホール提案を要請するため市の担当者が直接、池原事務所を訪ねた」との証言がある。また、当初は折り鶴展示施設としながら市民の反感を買い、途中から「折り鶴の形をしたホール」(市側は市議会で珍答弁)としたことについて、この時にも「市の担当者が池原事務所に出向いて話をした」との証言がある。

それらが事実ならまさに「出来レース」。なお池原事務所の池原義郎氏は「新球場コンペ」の選考委員会の委員長で、その委員長が新球場と表裏一体の広島市のコンペに「参戦」すること自体、そもそもどうなのか?という問題も見過ごされてきた。

また、「折り鶴の形をした施設」に方針展開したあと、広島市では秋葉前市長の命を受け水面下で球場を解体したあとに移設する、とした広島商工会議所ビル内に「折り鶴を展示する」方向で調整を開始。同時に市議会ではバスセンターから歩行者専用デッキを市の負担で新設するプランも発表してこの時も物議を醸している。

折り鶴展示はこうした経緯を踏まえ、当チャンネルでは「不死鳥!」の名称でも紹介されてきた。また「平和の象徴は鳩、いつから折り鶴になったんか!」という市議会の声も何度も紹介してきた。

それが、松井市長に変わったとたん、市民目線に沿った方向で話が急展開…。「折り鶴ホール」の「隠れ蓑」として最後までこの騒ぎに付き合うかっこうになったNTT都市開発の「森のパビリリオン」も同時に跡地計画案から除外、との通告を受けた。コンペでの優秀案決定から4年近くも振りまわされては、担当者もたまったものではない。

それにしても…。

松井市長の判断に対して「なぜ折り鶴ホールをやめるのか!」との声は今のところまったく聞こえてこない。…ということは誰もそんなものをカープの聖地の後釜に望んではいなかったことになる。

ただひとり、を除いては…。

秋葉五輪と同様に、これまでの無駄なエネルギーと経費を注ぎ込んだ一連の騒ぎは何だったのか…。


ご意見はコチラ
ホーム
sports.c.w