市民球場再生計画

9月12日
さらば、元の広島市民球場-。秋葉前市長時代の「負の遺産」の中でも最も憂慮すべき元の市民球場の第2期工事がいよいよ本格的に始まった。

解体のための圧砕機3台が外野レフトスタンドをグラウンドの側から削り取るように解体していった。

残る三塁側内野スタンドは、原爆ドームとセットで広島の都市空間を物語る世界的にも稀有なランドスケープとして存在したきたが、こちらももはや風前の灯だ。

宮島からの帰り道、相生橋を渡るトラムカーの車窓から見渡す被爆直後の証人と戦後復興を見守ってきた「奇跡の器」。二人そろってこそ、の願いもむなしく、後者は人々の思い出の中の存在に変わろうとしている。

秋葉前市長から松井市長にバトンが渡されたことで、市民の間から「再度、解体延期と跡地活用法の検討に時間を」との声があがった。

松井市長も複数回、市民らから直接意見を聞くなどの動きはあったが、秋葉前市長時代に市議会で「GOサイン」が出された球場解体への動きは、2年後の春に開催が決まっている菓子博との調整もあって覆ることはなかった。

広島市ではすでに8月中旬以降に解体工事の準備に着手。営繕課では「球場の躯体部分を9月上旬から10月中旬にかけて解体し、その後、基礎部分を完全に撤去するまでに来年2月までを予定している」という。

なお「ライトスタンドを一部、市民の要望に沿って残す」とした秋葉前市長時代の方針については、現在、ほとんどその議論が表に出ていないが「市民の声に沿って」という部分が非常にあいまいであったため、実は今後どうなるかさえはっきりしていない、というのが現状だ。

それにしても…。関係者の話を総合すると「広島商工会議所移転のため、正面、一塁側から解体にかかった」とされる一連の球場解体問題は、商議所トップの交代、商議所内部の調整不足、最初から指摘されていた議所の資金不足、という3つの要因で移転が見事に頓挫したにもかかわらず「解体」だけが既成事実となったことになる。

5年後、10年後、50年後、この世界的にも稀有な都市空間はいったいどんな表情を見せているのだろうか?そこに世界中の子供たちの笑顔の花が咲いているなら何の問題もない。

カープの赤に変わる、平和と文化とスポーツの象徴がそのエンブレムを輝かせ躍動しているならそれもよしとしよう。

しかし、跡地の活用策を探るのはこれからである。秋葉前市長時代の「ポーズ」だけの市民や地元商店街などとの話合いはその客観性の弱さが致命傷になって「すべてゼロベース」に逆戻りした。「商議所の移転も含めてゼロ!」と言い切る市議会議員もいる。

壊してから考える。広大本部跡地での愚行を広島市はまた繰り返したことになる。走りながら考えることができないのはなぜか?「けっきょくみんな自分のことばかり」とは広島のランドスケープに熱い情熱を注ぐ、地元設計家の重い言葉である。


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