市民球場再生計画

3月12日
特報!商工会議所ビル、存続へ-。あろうことか、広島商工会議所では2012年度の予算案の中で商工会議所ビル施設の再点検を行う費用をこのたび計上した。同ビルについては「解体移転」を目指す一部、関係者の方針ですでに管理会社へ向け「補修などをストップ」する指示が出されており傷み放題?になっている。大田前会頭の死去により深山新体制に変わったので、と言ってしまえばそれまでだが、しかし人ひとりが交代したことと「奇跡の器」解体を同じ土俵で語ることは許されない。

あれだけ「移転、移転」と騒いで、秋葉前市長との”二人三脚”で元の広島市民球場解体を推進する立場をとっていた商議所の未来が”こうなること”はもう分かっていた。

その経緯は2010年12月発刊の「CARP2010-2011永久保存版」の78ページからに記しておいた。以下、要約しておく。

それにしてもフクシマがヒロシマに真摯な思いを寄せるこの時代…。広島が一番広島らしく存在するための世界的にも稀有なこの空間を、こんなことにしてしまった責任は誰にあるのだろう?誰がとるのだろうか?

2009年5月、秋葉前市長が元の市民球場の一部を勝手に解体して折り鶴を展示し始めた。

同年10月、秋葉前市長が広島五輪開催をぶち上げ、その1カ月後にはW杯開催候補地放棄を表明。

同年12月、菓子博開催決定(昨年末から年明け、今に至るまでさっぱり話題にならないがこれもトラぶっているのだろう)

2010年4月、秋葉前市長の仲人をした金井宏一郎氏を座長に、跡地問題を一手に引き受ける「都心賑わい作り研究会」スタート。

同年5月、商議所ビル内で大田前会頭に対して米神副市長(当時)や当時の都市活性化局長(活性化局は消滅)が「球場跡地整備のイメージパース」について説明。「概ねこれでいい」と大田前会頭が述べたことが当時の公文書に残っている。

同年6月、またまた大田前会頭、米神副市長が市内で協議。この日の公文書はほぼ100パーセント黒塗りで何が話し合われたかまるで分からないようにしてある。

また6月の市議会、特別委員会で「折鶴ホール設置は出来レース」「市のイメージパースにある計画案はコンペ2案からのものと市は言うがまったく別モノ」などの批判続出。

しかしけっきょくは6月の建設委員会では賛成5、反対3で市民球場解体への流れが決定。

同年8月、危機感を抱く市民が集まり「旧市民球場の歴史と未来を守る会」結成。

同年9月、大田前会頭、退任を表明。

同年10月、中国新聞が「商工会議所移転思案が波紋」の見出しで記事掲載。この時期に至るまでに何度も市議会などが広島市に正してきた「商議所移転費用」(土地代、建設費、ビル解体費ほか)について、市は「商議所自己負担」と言い続けてきておきながら、商議所サイドは「財源の一部に市の交付金」との思いがあり、まったく噛み合っていない。

そして同年10月24日、市民球場に別れを告げる「終球式」で秋葉前市長に硬球が投げられる。(注・ぶつけられる、とメディアでも当チャンネルでも表現しているが当事者から「当たっていない可能性もある」との証言があり、この問題は今も継続中)

同年11月、旧市民球場の歴史と未来を守る会が本通りでアンケート。球場解体賛成64票、反対332票。しかし同月、同市民グループの起こした広島市への「ふたつ目の」住民投票も”また”却下される。

同年12月解体開始。

2011年1月、秋葉前市長、5期目続投をしないことを表明。しかし球場は正面まで解体され第1期解体工事終了。

同年3月、秋葉前市長の後を継ぐはずだった豊田麻子候補が市長選に敗れ、松井氏が市長に。ほどなく「球場跡地問題」について「白紙」宣言。以来、小さな?動きはあっても、確たる”芯”のないまま1年が経過、そして商議所、ギブアップ宣言?

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