市民球場再生計画

8月5日
マツダスタジアムで開催された「ピースナイター」、広島対阪神戦の始球式に参加した張本勲さんが試合前、報道陣の取材に応じた。

張本さんは広島で被爆し、家族を失ったことから「あらゆる機会とメディアを通じて自分の経験を知ってもらう」活動を続け、広島に生まれ育ち、野球と共に人生を歩み、県内外から広島とヒロシマを見る者として、メッセージを送り続ける。

ピースナイター始球式に参加する直前の張本勲氏の話

身内を5歳の時に“とられました”から…。(被爆した)5歳の時のことで覚えているのは…、世の中に絶叫する声、気が触れているのでしょうか。あと、人間が腐ってどぶ川にどんどん飛び込んでいく…。

とにかく玄関を出たらピカッと光ってドーン!それしか記憶はないですね。

私らの時代はちょっと区別、差別もあり、原爆症だから近づくなという父兄の方の誤解もありました。そんなことは絶対にないんですけどね。友人など、ケロイドの人たちも何人もいました。

ここ6、7年ですかね。核廃絶の運動積極的に自分から関わろうとするようになったのは。どこに原爆が落ちたかも知らない若い人がいることをテレビで知ったんです。みんなの意識が高いはずなのに、こりゃ大変な国になってしまったなと思ったからです。

原爆で亡くなった方は我々の身代わりですからね。私は原爆資料館に2回しか行っていない。入れなかった。意気地がないね。

6歳違いの姉がね、自慢の姉がいたんです。背の高い、みなさんから「勲ちゃんはいいね」と言われる姉でした。

それが担架で赤十字の人に運ばれて自宅に帰ってきたんです。ほんとに無残な姿でした。ひと晩、熱い、痛い、苦しい…、と…。

私の自宅はここからすぐの比治山のそばです。比治山は標高100メートルもない山ですが、その山の(陰になった)おかげで助かりました。比治山には今トンネルができていますが(被爆で壊滅した市街地側と山影になった側の)距離はほんの100、200メートルなんです。比治山のバラックは15、6軒残りましたから。

オバマさんに広島に来て会議をやってもらいたい。自分に置き換えて欲しい。我が子、両親、兄弟…。考えて欲しい。原爆の本当の姿を自分の目でよく見てから核兵器削減の話をして欲しい。といっても自分たちが核を保有しているのですが…。

(野球を通して)自分に何ができるか?今72(歳)です。

あとの方たちも80を過ぎています。

最後のメッセンジャーとして、野球を通して訴えていきたいですよ。

身代わりになって亡くなられた魂をしっかりと、今現在があるのはあなたがたのおかげですよと、そういう気持ちで(始球式を)投げたい。


ご意見はコチラ
ホーム
sports.c.w